福祉施設で熱唱「六本木じろう」こと川崎俊夫さん

「お年寄りからじろうさんきてくれたと握手を求めてもらえる。今が一番充実しています」
歌手として福祉施設で活躍する川崎俊夫さん、登場!
青ペン音頭でエイエイオー

福祉施設で熱唱「六本木じろう」こと川崎俊夫さん

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歌手として福祉施設で活躍する川崎俊夫さん。

ボランティアを始めるキッカケ

──なぜ、福祉施設でボランティアを始めたのでしょうか。

川崎 親孝行をしたかったけれども、仕事優先でなかなかできなかったという反省も含めて、私が役に立つことは何かと考えたことが始まりでした。私自身の第二の人生を社会のため、人のためにどのように組み立てていくか考えている中で施設へ伺う機会がありました。

定年退職後の年齢ですから、身体的な形での役に立つことはできません。そこで、例えばレクリエーションタイムで青春時代や子供時代を思い出して楽しくなれる時間を作りたいと思ったんです。施設に入っている方のほとんどは80代くらいで、楽しかった思い出とか嬉しかったことを思い出すようなことをやれないだろうかと思いました。

そこで、歌うことを思いついたんですね。もともと私自身が歌が好きだったということもあったので、いろいろなところでみんなと一緒に歌う機会がありました。それなら、昭和の流行歌、歌謡曲を一緒に歌って楽しんでもらおうと思ったんですね。こちらが一方的に歌って聞いてもらうのではなく、一緒に声を出して歌ってもらえれば、健康にも極めていいだろうと思ったわけです。

──楽しいだけでなく、健康にもいい。素晴らしい取り組みですね。

川崎 みなさんが歌についてこられることが大切だと考えたので、カラオケセットを使ってスクリーンに映すようにしました。歌詞をプリントした紙を渡すと、そのうちどこを歌っているか分からなくなってしまうんですね。カラオケセットだと自分でテレビさえ持ち込めば、どこを歌っているか分かるじゃないですか。これなら、みなさんが一緒に歌える。

──活動を開始したのはいつ頃からなのでしょうか。

川崎 結果的にスタートは自分の思ったよりも遅れたんですけれど、仕事をリタイアする2014年12月でした。もっと早く、仕事をしながらやりたいなと思っていたんですが、でもまあとにかくやってみようという事で始めました。

最初は渋谷区と港区の社会福祉協議会という公の機関を経由しました。なんで渋谷と港区かと言うと仕事でお世話になった場所だったので、少しでもお返しを地域にしていきたいということがあったからです。足を運んでやろうと思ってることを伝えました。

「ただ歌を歌うだけじゃなくて、昔のお話をして、質問をする。基本的にはインタラクティブに双方でやり取りをして、当時はやった歌をうたう。例えば、昭和32年ごろ何歳だったか覚えてますかとか、そのとき恋人がいたりとか、素敵なことがあったなどを伺います。そのころに流れていた曲を聴かれながら、楽しい気持ちになったことを思い出しますよね。その歌を一緒に大きな声で歌いましょうと語りかけ、歌いたいんですよ」

すると、こう回答がありました。

「それは喜ばれるかもしれません。ただし、施設ごとに事情が違うから、それぞれの施設に直接連絡をしてください」

その返答と一緒に施設の一覧リストを受け取りました。ボランティアのことを考えているので会ってお話をしたいとお願いして足を運びました。話を伺うと、だいたい1時間ぐらいのレクリエーションタイムがあるとわかり、その時間にやりたいとお願いしました。通常は合唱隊が童謡やピアノ演奏とかギターの弾き語りが多いんだけれど、カラオケを使って昭和の古い歌を歌うので喜んでもらえました。

──パイオニアじゃないですか!ボランティアで一緒に思い出の歌を楽しむという活動をされてる方は初めて聞きましたよ。

川崎 一番最初は新橋のさくら川という施設でした。実はその当時、家内の母親が施設内にいたんですね。それで母親が元気になるようにということで始めだして。最初はこちらも心配がありました。認知症や車椅子で生活している人たちに本当によろこんでもらえるんだろうか、受け入れてもらえるんだろうかという懸念と不安ですね。

施設側も初めての試みだったので、とりあえずやってみましょうと始めましたところ、大変喜んでいただきました。「実はこういうボランティアを待ってたんだ」という人が結構いらっしゃいました。

サラリーマン時代とボランティア活動を通しての変化


──ボランティアを始める前の仕事について少し伺えますか。

川崎 私自身は引退する年齢まで、俗にいうサラリーマンとか会社員として過ごしてきました。何度か曲折があって、途中でやめて自立しようとか、人からお誘いをいただいて他に移ろうとか、考えたこともありました。ですが、長年いつづけたのは森ビルという会社が大変に優秀で、森ビルのトップが尊敬できる方たちだったからです。ものすごい大きな商売をやっていながらも、夢を追っかけているという感じが魅力的でしたね。

──アークヒルズや六本木ヒルズ、表参道ヒルズなどの運営で社会的にも貢献なされ、川崎さんは株式会社ラフォーレ原宿の代表取締役社長として活躍されました。退職後で変化などはありましたか。

川崎 家内とは森ビルで働いていた頃よりずいぶん会話は増えましたね。いろいろ日常的な会話も増えましたし、私は良かったなと思っています。 家内も私のいまの活動を非常に理解してくれています。

「収入は年金だけであっても、それでもやっぱりやれることがあってよかったね」と言ってくれています。手伝おうかとも言ってくれてるんですけれど、断っています。私がプロだったら手伝いを頼みますが、ボランティアなので夫婦揃って行くのはちょっとどうなのかなと思っていまして。けれど、活動には理解をしてくれているので、それは感謝していますね。

──川崎さんが尊敬している方はいますか。

川崎 偉人とか有名人とかではおりませんけれど、父親からただ平穏に生きることが大切だということを教えてもらいました。すごく頑固な明治の人でした。太く短くと主張する人もいるし、有名になりたいとか人に知られたいとかいう人もいるでしょう。しかし、人生、生まれ落ちて、本当に波風なく、平穏な気持ちで普通の暮らしができて、そして最後向こうへ逝くようなことがいかに難しいか、ということを教えてもらいましたね。私の父親もそういう平凡な暮らしで平凡な形で逝きました。102歳まで生きたんですけれども、長寿を全うしました。

──若い人の事故や事件があますが、労働条件のことなどもあると思います。今のボランティア通されて、何か社会に対して思われることはありますか。

川崎 お年寄りはここまで社会を作り、支えてきた人たちですから、尊敬の念を持つことが大切です。だから、私も「皆さんが戦後、敗戦で苦しい時期を背負って、これだけの日本を築き上げてきてくれた人です」とお話しています。本当に感謝しなきゃいけない。若い人たちが福祉の場で社会の役に立ちたいということであれば、お年寄りへ尊敬の念が必要だと思います。

その一方で、本当はお年寄りに対して基本的な教育も必要だと思っています。長らく見ていると分かるんですよ。大声を出したり、気に入らないと八つ当たりするようなお年寄りもいます。「金払ってるんだから」といってわがまま放題していいわけではありません。立派な方もいますが、わがまま放題になっちゃう方もいるので、お年寄りでも基本的な施設のルールを設ける必要があります。それを施設がきちっと教育して、適合をしない人は預かれないという対応をしていかないといけない。

若い人たちも、きつい仕事をしています。志を立てて福祉という社会に入ったから偉いし立派だと私は思うんですよ。ところが、本当に思いがずっと継続していくためにはですね、諸条件を整えていかなければいけません。

ですから、そういう世界へ入って行こうという若い人がいれば、まずは過去の歴史を振り返ってほしいと思います。自分自身が、お年寄りに対してしっかりと、どういう生活をしてきたかということをよく理解して、尊敬の念を持って入ってくるべきです。その上で、そこで働く人たちへは社会的な配慮が必要です。これは国の問題、行政の問題だと思うんですけれども、着飾って楽しそうにしているサラリーマン達よりもは少しは優遇するべきだと思います。本当に高齢社会を支えていこうとしている人たちだから、もう少し配慮が必要だと思うんですね。

──川崎さんのお話をお伺いして、本当に良い刺激になりました。若い人たちにとても良いメッセージになったと思います。取材させて頂いて本当にありがとうございました。