レゲエを愛するサラリーマンシンガー! レゲリーマン遠山晋一さん

学生時代からペインティングとレゲェ音楽に傾倒。
その結果、サラリーマンをしながらレゲェを歌うレゲリーマンに……!レゲリーマンプロフィール
会社員とミュージシャンの顔をもつ遠山晋一さん登場!

学校の成績はよくなかったけど芸術の才能は周りが認めてくれた

──「レゲリーマン」として活動する遠山さんですが、小さいころから音楽が好きだったのでしょうか。

遠山 絵と音楽は昔から好きでした。高校の時にロックにはまって、成績が悪くなり進路に迷ってました。そんなとき、高校の美術部の先生に「芸術方面の進路を考えてみたらどうだ」といわれて、方向性が決まったんです。

音楽を聴きながら絵を描くことはまったく飽きなかったんですね。プログレ(プログレッシブ・ロック)という複雑な音楽があるのですが、腰を据えて聞き込むような音楽です。絵を描きながら聞いていると、音楽の世界にどんどんと入りこんでいけてすごい好きでしたね。

──その後の進路は芸大へ行かれたそうですね。

遠山 なんとかがんばって芸大に入りました。芸大ではいろいろな人に出会い、よい刺激を受けることができましたね。縁あって卒業後は広告代理店のデザイナーとして働きはじめました。本当は絵を描きたい思いがありましたけど、イラストで仕事をすることにしたんです。

──レゲェが好きなのは昔からだったのでしょうか。

遠山 当時はプログレとかロックが好きでした。だけど、ジャマイカに行ってレゲェにかぶれましたね。

──会社員をしながら音楽をつづけることは大変でしたよね。

遠山 何度も会社を辞めそうになりましたけど、なんとかつづけてこられました。髪型をドレッドヘアにしたのですが、会社も許してくれています。本当によく許してもらえているなと思います。

──ドレッドヘアを会社が許してくれていると聞いて、とても驚きました……!

遠山 とても恵まれた環境だなと感じています。おかげでもうすぐ定年になる年齢までつづけることができました。途中15年くらい、仕事があまりに忙しくて音楽ができない時期もずいぶんあったんですけどね。最近は若い人にも任せられるようになって、時間に余裕ができてきました。

レゲリーマン誕生秘話とミュージシャン活動

──「レゲリーマン」という名前はいつからつづけているのでしょうか。

遠山 実はレゲリーマンという名前は私が考えたわけではないんです。2007年の暮れごろ、新聞で「レゲェをするサラリーマンを募集します」という内容が掲載されていました。なんだろうと思って読んでみると、大手レコード会社の「日本クラウン」が企画したオーディションだったんです。当時はジャパレゲブームが全盛を迎えたちょっと後くらいだったと思います。そこへ音源を送ったら、応募者が100人いる中からレゲリーマンに選ばれたんです。

──レゲリーマンに応募する前も音楽はやっていたのですか。

遠山 30歳までバンドをずっとつづけていたのですが、転勤があったりして解散してしまいました。40歳になってからは家で打ち込み音源で音楽をやっていたんです。その音源を送ったらレゲリーマンに選ばれて「やってください」と頼まれてしまいました。

──周りの方からはどんな名前で呼ばれているのでしょう。

遠山 2008年からずっとレゲリーマンとして活動しているので、ここ8年内で知り合った人たちからは「レゲリーマン」と呼ばれています。本名ではなくレゲリーマンとして覚えてもらっていますね。

──レゲリーマンとして音楽活動をはじめてからの調子はどうですか。

遠山 譜面もあまり読めないし、歌詞も英語だったりして、なかなか覚えられないなど苦労することはありますね。だけど「メロディーがいいね」といってもらえることはあるので、嬉しいです。

──音楽活動を通して「これを伝えたい!」というメッセージは何でしょう。

遠山 最初はレゲリーマンを広告のようにとらえてブランディングばかり考えていたんですね。歌詞の中にも「レゲェの好きなサラリーマン 会社に通うラスタマン」という歌詞を入れたり、キャラクター設定に気を使っていました。スーツ姿にドレッドで、かなり奇抜な格好でしたね……。

──スーツ姿にドレッドヘア、すごい斬新なスタイルですね!(笑)

遠山 しかも、最初のころはカツラをかぶっていたので、ふざけた見た目になってしまいましたね。レゲェを真剣にやっている人からは「なんだあいつは」という目で見られていました。

──仕事との両立で苦労することも多かったのではないですか。

遠山 レゲリーマンは、クラウンレコードの紹介でサイゾーや東京スポーツなどメディアにも取り上げられたので、音楽活動をいままでになく広げることができました。しかし、一人の力では、出来ないことも多く周りの人たちにとても助けられました。

──会社から理解してもらうために苦労したことも多かったのではと思います。

遠山 社外で活動することになるので届け出をしたり、上司から歌詞のチェックをしてもらったりもしましたね。ですが、いざ活動をはじめてみると関西ラジオに出演したり、アキバ系アイドルを集めてレゲェを歌う『萌レゲェ』というアルバムに楽曲提供したりして勢いに乗ってきました。勢いにのって秋葉原でライブをするぞとなったときに、秋葉原通り魔事件やリーマンショックが起きたりいろんなことがあって……。

──苦労を経験しながら音楽をつづけてきたのですね……。

遠山 音楽をつづけることは大変で、今は「売れよう」と思ってはいません。それでも、たくさんの人に支えられて今日まできています。今月もライブの予定が2本あり、自分がやれる場所で精一杯やっていこう、仲間を大切にしながら活動しています。

──これから先、目指すものは何ですか。

遠山 初心に戻ることを今は考えています。今回の絵はテーマを「初心展」としました。高校生の美術部時代、1975年にはじめて美術部展へ作品を出したときのことを思い出します。絵の個展は久しぶりです。それから仕事を通してコンピューターで絵を作ったりしましたが、高校生に戻って絵をペタペタと描いてみてすごく気持ちがリフレッシュしました。人生まだまだこれからだと思います。

──苦しいとき、つらいとき、どのようにして乗り越えますか。

遠山 周りに支えてもらえているなと感じます。絵を描くときはひとりですが、様々な悩みやリスクも、時に、家族や友人に協力をしてもらいながら乗り越えてきました。

野外ステージでメインボーカルをしたときの景色は圧巻

──今日までの体験で強烈に記憶に残っていることはありますか。

遠山 2014年から「ジャスペルズ」というグループで自主制作の音源を作って、売り込みをしていました。2015年に”One Love Jamaica Festival”というイベントに出演ができたんです。代々木公園の野外ステージでメインボーカルをしたときは最高でしたね。昨年は浜松の”Roots Reggae Music festival”や新潟の”One Jah”などのレゲェイベントに参加して積極的に活動しました。いいライブができると気持ちがいいですね。

それと、はじめてジャマイカに足を運んだことは記憶に強く残っています。1983年のことでした。ジャマイカ以前にアメリカで多様な世界を見たつもりではいましたが、目の前に広がるブラックワールドはカルチャーショックだったのを覚えています。大学院卒業を目前にしていた時期で、就活戦線をすっぽかして出かけた旅行でした。帰国してからは周りの友達からはずいぶんと取り残されてしまいましたが、縁あって今の会社に入ることができて。今に比べて、恵まれたいい時代だったと思います。

──ストレスを感じることもありますよね。たとえば、創作時間が少ないとか……。

遠山 「どうしてこんなに時間がないんだろう」と思うことはよくあります。昨日の明け方にも感じたばかりです。それでも、割り切って進めていくしかありませんね。デザイナーということもあって、空間をデザインするときに内容を欲張りすぎて自分で自分の首をしめるようなこともあります。

創作活動でストレスになることはありませんが、人間関係は難しいなと感じます。それでも今日みたいに発表の場へ会社の人が来てくれることもあるんですよ。本当にありがたいなと思います。

──遠山さんが尊敬する人について聞かせてください。

遠山 芸大時代にお世話になった福田繁雄先生ですね。トリックアートを使ったグラフィックデザイナーだった先生で、ノリがよくてユーモアがある方でした。絵を応援してくれたけど、音楽も応援してくれたんです。僕のことを「遠山の金さんみたいだね」と「金さん」と呼んでくれました。「金さん、レゲェだよね。私の個展で演奏してみないか」と招いてくれて、富山の美術館で演奏させてもらいました。福田先生がラジオ出演したときに一緒に参加させてもらったり、結婚式の仲人までしてもらっています。もう10年くらい前に亡くなりましたが、福田先生には頭が上がりません。

──最後に、遠山さんのこだわりを教えてください。

遠山 このドレッドヘアですね。維持することが大変だったり、86歳になる父から「なんだその髪は!切れ!」といわれることもあります。レゲリーマンの企画でドレッドヘアということもありましたが、今では自分のアーテイストとしての存在証明でもありますね。1983年のジャマイカモンテイゴベイで行われた”Reggae Sunsplash”というイベントに参加したことをキッカケに今日までレゲェをつづけてきました。今や世界に広がっているラスタファリムーブメントの端っこかもしれませんが、これからも楽しんでやっていきます。