介護の悩みを相談できる社会に!介護者メンタルケア文化人の橋中今日子さん

 

「生きることを楽しむ、病気になっても」
それが介護者メンタルケア文化人の彼女のこだわり。
橋中今日子さん、登場!
介護者メンタルケア協会
橋中今日子さんblog『介護に疲れたとき、心が軽くなるヒント』

目の前の人に助けを求められる環境があれば、介護の問題は解決するのではないか

──まず、自己紹介をお願いします

橋中 橋中今日子です。大阪で生まれ育ち、今は滋賀県に住んでいます。1970年6月6日生まれ、47歳。仕事はもともと理学療法士として、病院で14年間つとめていました。2年前に病院を退職して、「介護者メンタルケア協会」を立ち上げました。今は任意団体ですが、来月、一般社団法人にします。家族の介護をしている方や介護職の方で、心が疲れてしまった人へ向けて情報を発信したいと思い、始めました。

個人だけでなく、行政からの依頼もあります。たとえば、介護に堪えきれず虐待や心中といった悲惨な事件もあり、それを防ぐための情報を提供することがあります。また、一般企業には介護を理由に離職する方が辞めずに済むために、どうすればよいか情報を提供することもあります。

──今の仕事を始めたきっかけは、何かあったのでしょうか

橋中 話をさかのぼると、私が中学生の頃になります。父に進行性のガンが見つかり、母はその不安からアルコール依存症になりました。弟は知的障害で、私は家族3人をケアしながら大学に通っていました。大学卒業後、私は医学療法士として病院で働き、家庭での介護を続けていました。父はガンが再発し私が20代の頃に亡くなり、母は心を病むだけでなく体を悪くして、くも膜下出血で倒れました。20代のうちは勢いでがんばれましたが、年をとるにつれて疲れていきました。

母は在宅介護が必要な状態に。病院に勤めているので、職場からの理解や助けが欲しかったのですが「これ以上、迷惑をかけるなら辞めてほしい」と言われてしまいました。今思えば、「病院だから、わかってくれるだろう」と私からのコミュニケーションを怠っていました。家庭の事情を話さず、職場が理解してくれるはずありませんでした。最初のうちは職場が理解をしてくれないことに対して、私が被害者だと思いながらも、プライドで仕事を辞めませんでした。介護離職しようと決める直前でしたが、ある日、上司に初めて、父が亡くなっていることなど、家庭の事情を打ち明けて相談しました。特に、言いづらかった「私が辞めると家庭を支えるお金がなくなるので困る」と伝えると、上司の表情が変わり、その瞬間に「あぁ、伝わったんだ」と思いました。

病院の現場で働く人でも、介護をしながら働く大変さを知らない現状があります。実際に介護をする大変さもそうですし、繰り返し救急車で運ばれるようなアクシデント、病院では入院で断られることなど、さまざまな苦労があります。

私の実体験をブログでも書き残し、アクセスするほとんどの人がコメントを残してくれるほどの反響がありました。ブログをオープンして1週間後にはブログランキングで1位に、2週間後には朝日新聞から取材の問い合わせが来ました。

──それだけ介護に悩んでいる人がいらっしゃるんですね

橋中 ブログを始めた当初は医学療法士として働いていたので、ボランティアでコメントにアドバイスをしていきました。今もアドバイスはお金をとらずに続けています。「誰にも話せません」というコメントが多く、介護者がまわりの人に相談できない現状に気づきました。ケアマネ(ケアマネージャー)や身内など、本音で話すべき相手と話せていないということです。そこで、「目の前の人にちゃんと助けてと言える環境があれば問題が解決できるのではないか」という仮説ができました。

──日ごろから関わる身近な相手とは、距離が近すぎて本音で話しづらいのかもしれませんね

橋中 そこで私が橋渡しになれると思いました。まず、介護している人のケア。「家庭の事情をよく話してくれましたね。こうやって言えば、理解を得られるから大丈夫ですよ」と伝える。そして、企業やケアマネさんには「日ごろは見えなくても、こんな大変さが介護にはあります」と伝える。両者は分断されているので、コミュニケーションが必要です。

2015年2月、琵琶湖で老人の遺体がスーツケースに入った状態で見つかる事件がありました。亡くなった女性は娘さんに介護されていました。実刑判決を受けたその娘さんは当初、父親と二人で母親を介護していました。しかし、途中で父親は寝たきりになり入院。お姉さんがいたのですが、頼ることはできませんでした。娘さん一人で面倒を見なくてはいけない状態で、さらに亡くなった母親は「人の世話になるのがイヤだ」と介護保険や病院を拒み、衰弱して亡くなったそうです。

──娘さんはまじめさから、周囲に相談ができなかったのですね……

橋中 死体遺棄や衰弱死させてしまうほど助けを求められなかったことは絶対に許されません。でも、私も、働きながら介護をしていたから、それだけ追いつめられる状況を知っているし、社会的に介護をすることが大変だという情報が伝わっていないことに問題があるとも思います。裁判での「医療者の立場だから情報があったはずで助けるすべを知っていたはずだから冷酷で身勝手な犯行だ」という言葉が、とても厳しく、印象に残りました。

その事件に衝撃を受けたことや、ブログへの毎日くる相談を考慮して、「これは待ったなしだな」とお金になる算段がないなかで今の活動を始めました。病院での仕事も好きでしたが、規約として兼業ができないので離職して今の仕事を始めました。

──今の企業は介護者メンタルケアの担当者はいるのでしょうか

橋中 大きな企業は社員が離職しないように、介護者向けの窓口を作っています。子育ての相談は来るのですが、介護の相談はほとんど来ないのが現状のようです。私の友人の周りでも介護をしながら働いている人がいて、私のことを紹介してくれるのですが「もっと仕事になったら相談するね」と言われるそうです。会社を休んで介護をするだけでもすでに大変なはずなのですが、どこか介護の相談は気軽にできない風潮があります。

法改正は少しずつ行われており、3年間介護のための勤務時間短縮がしやすくなりました。3年間という制約はありますが、辞めずに済むという選択はとりやすくなりました。介護をしながら働ける選択肢が増やしていくことが大切です。仕事を優先するとき、介護を優先するとき、子育てをするとき、ライフスタイルに合わせた選択がとれる社会が求められていると思います。

「生きることを楽しむこと、病気とも向き合うこと」が私のこだわり

──今の若い人は生きがいを持てずに悩んでいるように見えますが、橋中さんは生きがいについてどう考えますか

橋中 最近、介護していない人から「キョンちゃんはいいね」と言われることがあります。理由を聞くと、「明確な目標としたいことがあるから」と教えてくれました。でも、私はどんな場所でも楽しめると思うんです。今いる環境を良い方へ変えたいと挑戦してみることが楽しいというか……。

──情報はそろっていますが、生き方は自分で探して見いだしていく時代なのでしょうね

橋中 あとは、会いたい人にどんどん会うことかなと思います。合う人、合わない人、それぞれいますがそれが刺激になります。話を聞いてすぐに明確な目標にならなくても、出会った点と点が線になるかもしれません。私の人生を変えたのは、医療介護の境界を越えて人に会い、話を聞いたことでした。現場以外の人の話を聞いて、医療介護に必要なことを客観視できました。今いる世界の外側にいる人と話して「これだ」と思う情報が見つかればいいと思います。

──すばらしい意見やアドバイスは残りますからね

橋中 そう思います。出会った人のようになったり、その人の生き方をしたりする必要はないんだけど、刺激によって人は自分らしさを引き出してもらえるのではないでしょうか。ネットもすばらしいですが、リアルの世界で自分から会いに行くことがよいと思います。

──仕事をしていてストレスを感じることはありますか?

橋中 ありますあります。今はネットからの相談が9割なので、24時間相談が来ます。緊急なものを除いて、すぐに返事はせず、一呼吸置くようにしています。母が危篤のときにも長文の相談が来て「私は自分のことで悲しむ時間もないのか」と錯覚なのかわかりませんが、追い詰められることがあります。常にリアルな世界にいるので、ときどき息抜きでディズニーランドに行って異次元の世界を味わってメンタルケアをしています。

でも、私にくる相談がケアマネさんとか、実際に身近にいる人へ相談できる社会になることが私の願いです。だから、人を育てたり、協力したりしてくれる人を増やしていきたいです。

──企業内でも絶対に必要ですよね。企業に入る前の大学や高校、専門学校にも伝えていくべきだと強く感じます

橋中 まだこれからの話ですが、高校やリハビリの専門家の養成学校で話をしてくれないかとも言われています。高齢者や赤ちゃんが分断されている社会はおかしいと思っていて、教育を通して地域の統合に協力したいですね。

私は介護経験は落語のようだと感じています。良いことも、ほろ苦いことも経験して、人生に味が出てきます。それが介護の魅力だと私は考えています。

──橋中さんの仕事を通しての「こだわり」とはなんでしょうか

橋中 「生きることを楽しむこと」かな、病気になっても。そこに尽きます。向き合ってこそ、喜びがあると思いますから。パッチ・アダムスの日本のコーディネーターをしている人から「死にゆく人は一人もいない。最後まで生き抜く人しかいない」と聞きました。

私の友人のお母さんから「余命1か月で治らないと言われている。ただ、私は生きたい。何をしたらいいの?」と相談されたとき、私は「笑うこと」と答えました。そして「どこに行きたいですか?」と聞きました。娘との散歩や母親の納骨、カラオケを楽しみたいなど語ってくれました。最初は泣いていましたが、行きたいところを話すうちに笑顔になっていきました。ご家族でも、行きたいところを話し合ったことはなかったそうです。できるかできないかは置いておいても、心にアクセスできる会話をすることは大切だと思います。

その方は後日、病院の庭を笑顔で散歩する写真を送ってきてくれました。医療者に今回のような相談をしてもらえるように社会を変えていきたいです。

──橋中さんの介護・医療へのこだわり、そして生きるというこだわりが伝わってきました。ありがとうございました